キジログ@愛

キジちゃんがその隠しきれないバード愛について語るブログ

背中

あの大きな背中を まだ 忘れないでいるうちに

 

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 優に10年以上経った気がしていたのですが、まだ6年なんだそうです。

 幼い頃、日曜日になると近所の公園で一緒に野球をしました。プラスチック製のバットにゴムのカラーボール。狭い公園。本当に狭いから打ったボールはいつも茂みの中に。ボールを探しに柵を乗り越えて踏みつける草の臭い。これ、教えてもらったドクダミってやつだ。

 小学生の頃、町内会の軟式野球チームに入っていました。強いチームではなかったけど、でも野球のルールは教えて貰ってたし、ボールを打ったり投げたり、そういうのがとても楽しかった。奇妙に感じたのだけど、コーチをしていたからか、練習中は私のことをなぜか苗字で呼ぶのです。そういうものなのだと学びました。

 年末年始に田舎の家に行くと、その足で近場のスキー場だとか、山の上にある屋外のスケート場だとか、温泉だとか、釣り堀だとか、そういう所へ連れて行ってくれました。俺は遊びを沢山知っているんだ、なんて自分でそう言っていました。でも今思えば技量はどれもそこそこです。私の器用貧乏はここから来たのかも。

 思春期を迎えると、子供は反抗します。それはもう本気の怒りをぶつける。大人は分かってくれない、大人のせいでこんな風になっちまった。拳でふすまに穴を開け、家を飛び出しました。それを追いかけてくる。近所をあちこち走り回る。それでもずっと追いかけてくる。いつまでも追いかけてきてくれる。ちょっとだけ、怒ったような顔をしながら。

 外食に連れて行ってもらうと必ず、好きな物を好きなだけ頼んでいいと言う。焼き肉なら本当に肉だけでもいい。そして、お腹いっぱい食べたかと聞く。お腹いっぱいだ、と答える。じゃあ帰りに食べ放題にでもいくか、というよく分からないおやじギャグ。それも毎回。腹を満たした子供達に囲まれて、いつまでもニコニコした顔をして。

 おまえの好きなようにやれ、やりたいことがあるなら何でもいい、それを全力でやれ。でもそう言われるのが辛い時があります。やりたいことなんて何もなかった。何もやる気が起きなかった。長いトンネル。それを黙って見守っていた。それでもずっと見守ってくれていた。

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 術後の夜に見た夢は、無免許の凄腕医師が4人部屋の向かいの患者の元に来て莫大な報酬と引換にその場で手術を施す、そんな馬鹿げたもの。本当なんだ、俺は見たんだ。そんな事を、怯えながら私に伝えてくる。全身麻酔が抜けきっていないのか、あるいは。

 俺は絶対に癌になんてならない、そう豪語していた傲慢な腹は、やはり当然のようにどんどん痩せていって、面影はなくなり、こういう俺みたいなのを骨皮筋右衛門って言うんだ、知ってるか、なんて。胃がないと”つっかかる”んだ、前みたいに食えない。足がむくんで辛い、ちょっとでいいから揉んでくれ。ずっと背中がかゆいんだ、掻いてくれ。

 戸棚に並ぶ清潔なタオル。洗濯物を入れたビニール袋。大きすぎるパジャマ。小さなテレビ。ベッドに添えた車椅子。桃色の吸い呑み器。来客用の丸椅子。小便の臭い。2歳半の見舞客。飴玉。初夏の風。揺れるカーテンの淡色。窓から見える電線。街の景色。眠る姿。その小ささ。

 次女を乗せた東北発の新幹線は、夜にこちらに到着しました。久しぶりに家族全員が揃った日。次女が、私の妹が話しかけます。少しだけ、動いたような、返事をしたような、そんな風に見えました。ベッドの周りにはたくさんの人がいます。私の嫌いな叔父叔母連中、ずっとお世話になっていた医師と看護師、幼すぎて、何もわからない孫娘。その真ん中で、さっきからずっと眠っている。小さな頃から、ずっと見てきた背中。なにずっと寝てんのさ、まだ大丈夫だから、頑張ってよ、まだ、まだだよ、もっとね、もっといろんな事教えてくれなきゃ困るんだよ俺、まだだから、頑張ってくれよ、まだ、まだなんだよ、まだなんだ、まだ・・・

 仕事関係の人からも、本当に慕われていた事に驚きました。その日は近所の人達も、私と同年代のいとこ達も、大勢の人が来てくれました。みんなが私に声をかけてくれます。お父さんには若い頃仕事でとても世話になったんだ、その恩をずっと返せてなくてね、だからとても残念だよ。これからは君がしっかりしなくちゃね、お母さんを大事にね。お父さんは相当な酒豪でな、仲間内では一番飲んだんだよ、凄かったなあ。こんな立派な息子さんがいらっしゃるんだもの。叔父さんには昔から良くして貰ってたんだ。いくつだったの、59歳か、まだこれからだったのに。

 生花で満たされた、その棺のふたを閉めるとき、本当にもう二度と会えないんだ、本当に最後なんだ、そう初めて理解して、私は。

 先月のお彼岸に日に近所のスーパーで安い仏花を買って墓参りをしてきました。先祖代々続く苔の生えた墓石は戦争の時に一度焼けたのだそうです。両脇に据え付けてある花瓶の、右側のそれが長らく錆びたままになっていて、ようやく重い腰を上げた私は持参した研磨剤で花瓶を磨き直しました。そうして仏花とお線香を二把供え、手を合わせ目を瞑ります。

 とりあえず、こっちは大丈夫です。安心して下さい。 そういや母さんが墓石を買い換えるなんて言ってたけどそれは俺が止めたよ、だってあれは高すぎる。そんなの老後の資金に取っておけって言っといた。その方が父さんも安心だろ?母さんは元気だよ。今じゃ趣味に生きてるんだ、あの母さんがだよ。人って変わるもんだね。でもさ、7年も経てば誰だってなんかやらなきゃ生きていけないよね。最近じゃ孫も増えて幸せそうだよ。今のところ何も問題ないよ。報告はそんなもんかな。まあ安心して見守ってて。みんな大丈夫だから。とりあえずまた来るよ。今度はいつだろう、年末かな。それじゃあまた。ありがとう。

 

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 先日、使ったまま部屋の片隅に放置していた研磨剤に気が付いて、億劫ながらもそれを片付けていたときにふと思い出した昔の話です。彼岸からは結構日が経つんですがね、でも物を片付けるのってとても面倒ですからね。普段はそういう面倒なやつは基本見えないフリをしています。こんな私の性格はたぶん母親似なのでしょう。でもね、愛が何なのかを教えてくれたのは間違いなく父でした。父については忘れたことも多いのだろうけど、でも覚えていることはもちろん沢山あって、とは言えそれはこんな所には到底書き切れませんからね。もらった愛の深さと、二つだけ出来た親孝行、そういうものは自分の胸の中にそっとしまっておきます。
 父が鬼籍に入ったのなんてもうとっくの昔のことと思っていたのですけど、よく計算してみるとまだ6年しか経っていないみたいです。時が経つのが早いんだか遅いんだかよく分かりません。でもそういうのがわからなくなってる分だけ、私もちゃんと生きて行けているという事でしょう。とりあえず今はそういう事にしておきます。

 

 そういえば墓参りの日は雨が降っていました。
 あの花瓶はどれぐらい錆びずにいられるのかしら。

 

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