キジログ@愛

キジちゃんがその隠しきれないバード愛について語るブログ

【左へ】百田尚樹 著『日本国紀』(の周辺への)感想【右へ】

おち○ちんは極右(曲がり方的な意味で)、エロへの探究心は非常にリベラルな変態ですどうも( ´_ゝ`)

先日家の近所にある穴場的な図書館に行ったら今話題の百田尚樹さんの新刊『日本国紀』が普通に借りられる状態になっていたので借りて読みました。(ちなみに読んだのは第四刷です)

本はとても面白かったです。百田尚樹さんの本は過去に『永遠の0』と『海賊と呼ばれた男』を読んでとても面白かった印象があります。

さて今回読んだ『日本国紀』。
読み終わってから知ったのですがこの本はいろんな意味で今話題になっているようですねぇ、なんかいろいろとねぇ( ´_ゝ`)

というわけで今日は本の直接的な感想ではなく、この本を取り巻く状況に対して私が思ったことを綴っていきたいと思います。あ、はじめに断っておきますけど基本的にはクソネタを書きたいだけの記事ですので特に何が言いたいとかそう言うのは一切ありませんからね、いやマジで。( ´_ゝ`)

なお「状況」について知りたい方はAmazonレビューの★5と★1だけ見とけば大体わかりますので( ´_ゝ`)  

日本国紀

日本国紀

 

 

政治と宗教と主義についてネットで言及するのは危険です。それらは個人の思想そのものだからです。価値観は人によってそれぞれですから、誰かが何かを言えば往々にしてそれに対する反発が生じるものです。ちなみに私は政治的に特定の支持政党などはありませんし、特定の宗教に対する信仰もありません。一方でスレンダーな巨乳に対してはもはや盲信とも言える程度の信仰を抱いている訳ですがしかしそれに対し狂信的な貧乳信者からそれはそれは激烈な、それこそ巨乳信仰者その人の人格をも否定せんばかりの反論が否応なしに生まれるわけです。人の好みはそれぞれですが、ただ言えることはおっ○いは正義だという事です。正義の前に人は平等。お互い仲良くしましょう。

 

昨年末ごろに百田さんがラジオでこの本に関して喋ってるの聴きました。大変よく売れていると言っておられました。百田さんは思想家や政治家などではなく作家ですから、「日本通史」を謳う本書においてもあくまで読み物としての面白さを追求しておられると私は感じました。実際読み物として面白かったですし、その辺はさすが作家だなーって思いました。(個人の感想です)

 

ただし、特に後半部分においてはやや過剰な表現があるように思いました。特定の周辺国家や新聞社を必要以上に蔑んでいる感があります。百田さんは左寄りの人からは「極右」などと言われますが、しかし私はそこまで極端な右寄りではないと思います。大戦中の出来事など非難すべき所はバッサリと日本を非難しておられます。ちなみに私のご子息に関しましてもそこまで極端な右向きにひん曲がっている訳ではございませんので皆様どうかご安心ください大丈夫です。

 

いわゆる左側の方々が本書に対し指摘する問題点は「ネットからのコピペ、剽窃」「明らかな事実誤認」「出典が示されていない」「不正な大量購入による売上データの操作」とかその辺なんですけど、これらは確かに問題ありな部分もあります。しかしながら本の内容に対し反論を呈するする人も、ミスを論(あげつら)えて作者の人格まで否定してしまうのは違うでしょうし、ましてやこの本と現政権への批判を一緒くたにしてしまうのは完全に筋違いです(いずれも一部の人だけだとは思いますが)。批判に関して言うならば、右の人も右の人で某国との関係がこじれた途端にすぐ「断交!」とか叫んでしまうのは本気で言うのはもちろん冗談でもダメなんじゃないかと私は思います。なお私のアンダーなヘアーはすぐにこじれて絡まるうえ蒸れ具合も激しくもはや我慢の限界です。ですので今すぐにでも断交したいと強く願っています。その際、ブラジリアンワックスは痛そうですからとりあえず剃刀を使おうと思います。これは冗談ではありません。

 

左側の方の主張に対し著者が言うに「(本の内容に)細かいミスはあったが、大きな間違いはないので問題ない」との事ですが、これは左右どちらの立場から捉えるかによって全く逆の感想になるのではないでしょうか。個人的には著者のこの説明にはやや大雑把な感じを受けます。仮に私が「今夜使用するエロ動画の選択にややミスはあったが、しかし最後までやり通す♡事は出来たので問題ない」と言ったらどうでしょうか。どうでもいいですかそうですか。

 

双方の繰り広げる主張の中で著者側に分があると思ったのは、「私が最も書きたかった最後の3章の部分に関しては、彼ら(リベラルとか左派とか)は一切何も言ってこない」という点です。最後の3章とは敗戦後から現在(平成)に至るまでの部分で、内容としてはGHQによる「WGIP(戦後の日本人に対し戦争に対する罪の意識を意図的に植え付ける政策)」や、「公職追放(GHQにより愛国・保守的な思想の教育者が次々と要職から追放された)」や、名指しで指摘される某新聞社の「偏向報道(自作自演で珊瑚礁に傷を付け報道した例の新聞社ですね、はい)」などです。これらから私が改めて思ったのは、その辺の出来事は既に反論の余地もない程の「公の事実」なのだな、という事です。この辺の記述に誰からも反論が出ないのであれば、それはこの部分に関しては著者側の主張がそのまま通っている事になりますし、世間もそれを認めていると言うことになります。もし仮に私が「MM号は演出であり、出演するカップルは実際にはカップルでは無い。これは明らかな捏造である。」と言ったらどうでしょうか?あなたはこれに反論できますか?私は抜ければなんでもいいと思ってます。

 

左右の争いで一番厳しいのはお互がお互いに聞く耳を一切持たない点です。少なくとも双方とも我が非は意地でも認めたがりません。まるで子供同士の喧嘩のようです。ただ、それこそが政治であり人の世であるのならばそれは仕方ない事なのでしょう。結局この世界はグレーゾーンだらけで、明暗の絶妙なバランスの上にしか成立し得ない訳ですから。なお私の弄りすぎてどす黒くなってしまった某部分♡とそのすぐ横にある青っ白い内腿との明暗の差はどこからどう見ても明らかに色彩のバランスがおかしいのですがしかしこれでも問題なく生きていけるので大丈夫です。例え部分がどす黒くても落ち込まずにそれを素直に認め強く生きていきましょう。大人として。

 

もし何かを主張するのであれば実際に自分の手で調べた情報を元に議論を展開するべきだと思います。ただ、全てにおいて情報の一次ソースを当たるなどは専業の学者でもない限り難しいでしょう。ゆえに一般に情報を得るには世に出回る各種報道に頼らざるを得ないわけですが、昨今はその報道自体の信憑性が疑われて久しい状況です。じゃあネットが正義かと言えばそんなことは全くございませんよね。極論を言ってしまえば外部の情報なんて全部が全部怪しいし、何が本当かなんてもはや誰にも判らないのです。過去に私が信頼をおく親友が「俺もうこれじゃなきゃ抜けねーわ」とか言いながら無邪気にお勧めしてきたVHSを借り自宅でウキウキワクワクしながら再生してみたら中身が相当ハードな陵○モノで見るなり萎えた時の私の気持ちがあなたには分かりますか。ええ、もはや何も信じられなくなりましたよ。

 

私達が何かを判断するとき必要なのは情報リテラシーです。何を信じ、何を信じないのか。それらの判断は大変難しいですが、ともあれ飛び込んできた情報に対し常に冷静な考えをもって対処する事は非常に重要であると私は考えています。逆を言えば情報の表面だけを切り取ってなんでもすぐに信じ込んでしまうのは非常に危険だという事です。先の親友の一件からリテラシー(ビデオ探求的な意味で)を得た10代の頃の私がレンタルビデオ店の暖簾の奥で散々悩んだあげく最終的に手に取った「内容的には極々一般的」であろうと思われる「店長オススメ!」なるポップの付いた巨乳モノのビデオをチ○コギッンギンにしながら自宅のビデオデッキで再生したら巨乳つーかどちらかというとフェチ寄りの豊満ボディ系な内容だった時にも私は情報リテラシーの重要性を痛感いたしました。あとスレンダーな巨乳以外の巨乳はパッケージで安易に「巨乳モノ」を謳わないでほしいと思いました。切に。

 

今日も意図的に歪められた情報と貴重な真実の情報とが玉石混淆となり溢れんばかりの勢いで巷に流布され続けています。国家の出す統計情報ですら信頼できない世の中です。では、私達は何を基準に意思を決定すればいいのでしょうか。ひとつは先述の通り情報リテラシーを高める事です。そのためには一つの情報に対し、一方の主張だけではなく様々な方向から意見を収集し考察するといった作業が必要です。この世界には表と裏の両方から眺めてみて始めて正しく理解出来る事象のなんと多いことか。もうひとつは、自分の中に確固たる基準を設けることです。それは自身の善悪観に基づく価値判断の基準です。正しく生きるためには、溢れる情報を自身の価値判断に照らし処理して冷静に行動することが大切なのです。

さて、ここまでいろいろ書いて参りましたがね、まぁ私もそこそこ歳を取ってますから情報の選別にはそれなりに自信があるんですよ。だからこそわざわざこんな記事を書いて皆様にその大切さを説いているわけです。つい先日だって長尺かつセール価格しかもレビュー点数も高くて内容的にもいいとこ取りであろうと確信し熟考の末FA○ZAで購入した『形良し大きさ良し○首良し!!これぞまさに神○8時間濃縮ダイジェストSP!!』が蓋を開けたら行為の前後を切り取っただけの雑なダイジェストで私の求める「趣」が全く感じられず思いのほか使えなかった事により深い悔恨と共に改めて情報リテラシーたるものの奥深さを学んだわけですがしかし喉元を過ぎてこの過ちを忘れたころ同じくFA○ZAのセールでついつい購入してしまった『15時間SP 2017年に乗車してくれた485人から最も可愛く人気が高かった62人を厳選!マジック○ラー号作品集2018』は先述の『神○8時間』同様に趣のないただのダイジェスト版かと思いきやしかし各出演者のクオリティの高さ及び「映像冒頭に状況設定を文字で説明する」とかいう高度な編集テクニックにより長尺多人数モノ特有の「味気なさ」の壁を軽く乗り越え結果ものすっごく使えたりするもんですから私にはもう何がなにやら判りませんしもはや何も考えたくありませんので今後とも直感に頼って自分に都合のいい情報だけを取り入れてお気楽に生きていきたいと思います。結局は抜ければなんでもいいです。はい。