キジログ@愛

キジちゃんがその隠しきれないバード愛について語るブログ

めくれたオレンジ

大学に入り背が小さくて身体が細くて目の大きい女の子に一方的に恋をし、そして一方的に失恋して、私はインターネットプロバイダのサポートセンターのバイトをはじめました。

学部は理系の情報学科だったし、高校時代にバイトをして貯めたお金でパソコンを買いインターネットにアナログ回線で繋いでいたぐらいだったのでこの仕事に対しては元々ある程度の知識がありました。

ケーブルテレビ回線を使用したマンション向けのネットサービスで、時にはオンサイトで客先に出向きモデムやルーターの設定をしてネット接続のサポートもしていました。

バイト先の社長は当時28歳で、国立大学を中退したあとISDN回線の販売代理を経由してネット回線サービス事業を立ち上げたのだそうです。代理店の中でも特にISDN契約本数が多くNTTに表彰された事もあったとか。

従業員は私みたいなバイトを含めて10名前後の小さな会社でした。私と同じ大学生の同僚堀井くんや、高卒で就職して正社員として働いていた私と同い年の有馬さん、偶然にも私と同じ大学に通っていた一個上の関さん、何よりも彼女を一番大切にしていた社員の石井さん、ISDN契約担当で年長かつ社長にもズバズバモノを言うマダムの小林さん、見た目はすっごいギャルだけど仕事はしっかりしている仁科ちゃんなど、個性あふれる人達ばかり、というか全員が全員かなりの個性派で、今思い返してもとても楽しい職場でした。

私と二人で大晦日の夜24時まで一緒に働いた宮武くんはたぶんゲイだったんだろう、なんてどうでもいい事まで今でもよく覚えています。

事務所内には常に有線がかかっていて、当時の流行りのJ-POPが一日に何度もリピートされていました。天井のスピーカーから流れる音楽を聴きながらサポートの電話対応をします。

当時よくあった問い合わせは「ヤフーが繋がらない」と言ったもの。そんな時は「お客様のお手元に青い色をした小さな機械がありますね?それの電源コードを抜いて10秒ほどお待ちいただき、再度コードを指してください。2分ほどお待ちいただいたあともう一度ヤフーを開いてみてください」これで大抵は解決しました。

焦った問い合わせは、ひとつは外人さん。私は英語が全く分からないので「う、ウエイト!プリーズ!」とか言って英語のできる堀井くんにバトンタッチです。堀井くんが非番の日は「しゃ、社長!外人です!お願いします!」と言って社長に丸投げしていました。社長は自頭がいいので英語もそこそこ話せたし、仕事の取引の関係か中国語もなんとなくで話せたようです。

もう一つ焦ったのは「ネットが繋がらないせいで株の売買が出来ない」と言ったもの。大金がかかっているのかお客はブチギレです。損害賠償、なんて言葉も出てきて焦りました。こんな厄介なのはもちろん社長に丸投げです。社長はさすがに社長です。ブチギレてる客をなだめ最後には笑いながら電話を切ります。そして「石井!今すぐ現場に行け!」そんな号令が出たりしてました。あとは私は知らん。

ある日普通に働いていると、友人から私の携帯にメールが来ました。余談ですが当時はドコモの初代パカパカ携帯N503i(画面のバックライトが緑色に光るやつ)を使っていました。名機ですね。さて、友人いわく飛行機が突っ込んだのだと。何言ってんのかよく分からなかったので無視して仕事に戻りました。

帰宅してテレビを見ると、確かに飛行機が突っ込んでいました。そう、911です。友人の彼女がその映画のような映像にひどく興奮していたのをよく覚えいます。このバイトの事を思い出すとき、併せて必ず911の事が思い浮かびます。その逆も然り。

そういうのは今でもいっぱいあって、タケオキクチを見ると宮武くんを思い出すし、ヒューレッドパッガードのパソコンを見るとコンパックに就職が決まった途端に会社がHPに吸収される事になった堀井くんを思い出すし、GT-Rを見ると高速で180キロを出したとか自慢げに言ってた有馬さんを思い出すし、ホタテの貝殻を見ると会社内でみんなで鍋パーティーをした事を思い出します。

とはいえ中には正直覚えてない人もいます。覚えてない出来事もたぶん多くあります。でもあの時のあの感じ、あの雰囲気、空気、時代、駅前の雑踏、何かに属する事の意味、人の優しさ、厳しさ、そういったものを私は今も少なからず覚えていて、それらは確実に今の私を作っている要素なのだと実感できます。

 

サポートの仕事は一年以上続けました。ある時「もういいかな」と感じました。楽しいけれど、このままずっとここにいるわけにはいかないのだと心で感じたのです。私は何事にも飽きやすい性分ですが、しかしその時心を支配していたのはそれとは違う感情でした。それはたぶん、前向きなもの。役割…私にしか出来ない何かの役割、それを果たさなければならない、ずっとここにはいられない、そのような感情だったのだと思います。

そしてこの居心地のいい職場から私は離れました。

その後の私がどうしたかと言うと、

「今度は女子のたくさんいるバイトをしよう。例えばハンバーガー屋とか。」

そんな安易な考えで実際にハンバーガー屋のバイト面接を受け、そして無事働くことになりました。そこで私の人生は劇的に変わる事になるのですが、それはまた別の話。

Apple Musicから流れてきた「めくれたオレンジ」を聴いて思い出した昔話です。それはいつか、有線で天井から流れていた曲。

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